2020-05-22 第201回国会 衆議院 外務委員会 第9号
また、トルコにつきましては、十九世紀末に和歌山県の串本町沖に台風により沈没したオスマントルコ帝国海軍の軍艦の乗組員を地元の住民が協力して救出してトルコに送還をしたということが、トルコ国民の心に今でも残っているわけであります。
また、トルコにつきましては、十九世紀末に和歌山県の串本町沖に台風により沈没したオスマントルコ帝国海軍の軍艦の乗組員を地元の住民が協力して救出してトルコに送還をしたということが、トルコ国民の心に今でも残っているわけであります。
この方は旧帝国海軍の最後の軍務局長です。彼が軍務局長になったのは、これは五百旗頭先生は御承知だと思いますが、ミズーリ号で調印式が行われる前日です。彼自身は、実は、海軍の解体のために軍務局長になった。一旦彼は公職追放を受けましたが、その後、吉田茂首相によって、海上自衛隊の前身であります海上警備隊、この建設準備委員会の責任者になりました。その際、彼はアメリカとさまざまな交渉をしたと話しています。
帝国海軍が、水路部というところが全部地形を調べているんですよ、戦時中に。その地図、海図を海上保安庁が引き継いでいるんですよ。 きょうは海洋情報部長さんにお見えいただきましたが、今その海図がちゃんとあるかどうかを確認しますので、大臣、ちょっと聞いていてください。
私、このニュースをまず耳にしましたときに、言葉が出ないというか、ううんと天を仰ぎまして、総理の御決心、難しさというのはいかばかりだっただろうかというふうに思いを巡らしたときに、ふと頭に浮かんだことが、旧帝国海軍の山本五十六元帥が残された有名な言葉がありますけれども、男の修行という言葉がございます。
それを見た大日本帝国海軍は、こういう中堅の幹部が新婚旅行がオーケーになるかどうかによって決まるぞということで、そうしたら、三日後に電報が来たそうなんです、オーケーだと。一行だけ。
古く言えば、舞鶴は帝国海軍の鎮守府の時代から我が国の防衛の拠点でございまして、蛇足でございますが、東郷平八郎連合艦隊司令長官もその着任前は舞鶴の鎮守府の長官をなさっておったと聞いておりますので、そうした地域の中で日ごろ自衛隊の活動に大変温かい御支援を賜りましたこと、まず厚く感謝を申し上げておきます。
これは、歴史をひもときますと、明治四十三年の旧帝国海軍の水路部の資料の時代からこの名前が使われているということで今日まで来ているというのが事実関係でございます。
これもまた、伝統墨守の中で、例えば、海上自衛隊がこれからも有してほしいシーマンシップといいましょうか、サイレントネービーというんでしょうか、そのエピソードとして、太平洋戦争緒戦のインドネシア沖の海戦で、英国の艦隊が撃沈されて、そして、漂流者四百名以上の英国兵が海を漂っていたところを、当時の帝国海軍の駆逐艦である「雷」が一人一人を助けたというエピソードがございます。
○浜田国務大臣 先生御指摘の旧帝国海軍の駆逐艦「雷」の艦長の工藤海軍中佐は、昭和十七年の三月に、南方での海戦中に撃沈された英国海軍艦船の乗員の四百名余りを救助し、またこれを厚遇したというふうに承知しております。
もし仮に戦前の帝国海軍の、いい点だってあるのでしょうが、あしき面を継続しているとするならば、そこは直していく努力、少なくとも外から見て伝統墨守、唯我独尊と言われることがなくなったというふうにはしていかねばならぬだろうと思っております。
これは直接の関係はないのかもしれませんが、私は、帝国海軍というのはなぜだめになっていったのかということに対して、相当強い関心は持っております。なぜ帝国海軍というのはあのようにどんどんおかしな組織になっていったのだろうか。そこのところをもう一度、同一視するつもりはありませんが、考え直していかないといけないことだと思います。
つまり、何か昔の帝国海軍のように、一応はやるだけやる、その後は知りませんぜという話になる可能性が高い。 例えば、ばっと首都圏あるいはいろいろな都市部に広がったら、本当に何百人あるいは何千人かその都市に広まっただけで、どのくらいのゾーニングというんですか、指定区域をやって、それで二週間たったら、では、この方々に食料を供給しなきゃいけない。今、舛添大臣はそう言われたんですよ。
それは何の流れを引いているかというと、私も全部見たわけじゃありませんが、恐らく帝国海軍のそういう資料のやり方、つまり、船の中で一年、おかにのっけて三年、四年で焼却、こういうことになっておるわけですね。それは、恐らく帝国海軍はそういう考え方があったのだろうと思います。これが本当にいいのかどうなのかということは検討いたします。
なぜならば、帝国海軍は、日本海大海戦もこれあり、艦隊決戦ということを重視したのであって、商船を護衛するようなのは、それは腐れ士官の捨てどころだ、このように言われた。 しかしながら、戦争を始めるに当たって損耗率というのを計算しなきゃいけない。つまり、南方から本土に向かう船のどれだけが沈められるかというデータがなければ開戦に踏み切れない。そんなデータはどこにもなかった。帝国海軍にもなかった。
陸海総力を挙げて戦い、余力を持って英米に当たるとか、そういうめちゃめちゃな話があって、陸軍と海軍というのはほとんど話もしなかったし、陸軍の仮想敵はソ連であって、海軍の仮想敵はアメリカであって、そんなことで勝てるわけがないんだけれども、だけれども、時の政府、ましてや国民は、帝国陸軍に何ができ、帝国海軍に何ができるのか何ができないのかということを知らないままあんな無謀な戦争になってしまった。
あるいは我が海上自衛隊についても、帝国海軍の再現というのは絶対に認められないというのがアメリカのポリシーであります。ですから、アメリカと同盟関係を組みながら、その中で特に旧ソ連の潜水艦部隊を押さえ込んでいくためのASW、アンタイ・サブマリン・ウオーフェア、対潜水艦戦能力だけを突出させる、一部、機雷を取り除く能力をある程度持たせる、そういった格好にしてきたわけであります。
それは、確かに戦前は、帝国陸軍は、世界有数のと言うのか最強のと言うのか、ソビエト連邦を仮想敵国としておりましたし、帝国海軍は世界一の海軍国のアメリカを仮想敵国としておったわけで、それと、もちろんソ連は一番最後に参戦をしてくるわけですが、仮想敵国がそもそも陸軍と海軍で違うなぞという、そんなばかなことはあり得ない話でございまして、それでやったわけですからああいう悲惨な結果になるという点も失敗の本質の一つでございます
その予算を出すために削れということではなくて、不断の見直し、そしてまたミサイル防衛の必要性、それに掛かる経費、そういうものは全体として議論をされるべきものであって、先ほど旧日本帝国海軍のなぜ負けたかというお話をなさいました。そういう問題も私は含んでいるんだろうと思っています。
たしてきた役割、それから今後も果たしていただかなければならないその使命というものをかんがみた上で今回の法案が必要であるという趣旨でございますけれども、この東海道新幹線も、発案されたといいますか、計画の前は、これは大臣もどこかでお耳にされたことかもしれませんが、むだな投資の代表例として、よく世界の三大投資というようなことで、文化的な価値は別としまして、ピラミッド、万里の長城、それから、これは戦争末期の旧帝国海軍
最後に、私のおじさんは、帝国海軍で戦艦武蔵で戦死したんですが、日本の帝国海軍は、戦艦武蔵という世界一の軍艦なんですが、これが沈むときに、艦長を生きたままくくって船とともに沈む。どんな船が沈んでも、艦長は責任をとって、生きたままくくって船は沈む。アメリカの海軍は、第二次世界大戦のときに、船が沈みそうになると艦長を一番先に助ける。水兵はもうおぼれてもいいから、艦長だけ先に逃げよと。なぜか。
たとえ政府がこれを、この自衛隊派遣を後方支援と呼ぼうが、あるいはまた、武力行使はしないという詭弁を弄しようと、結局、今やっていることは、かつての帝国海軍と同じ海上自衛隊の旭日旗がアラビア海にたなびかされるわけでありますから、二十一世紀の最初の年に日本がテロリズムと闘うために連合軍に参加したという事実、これは世界の歴史に刻み込まれることになるのではないのか、一政治家として私はそのようにまず思います。